トゥールスレン博物館
*凄く生々しい記事なので気分を害す方はご遠慮ください。
先日行ってきた、カンボジアの"負の遺産"であるトゥールスレン博物館とキリングフィールド。
かつてこの国で拷問や大虐殺が行われた場所。
日本語の音声ガイドを使いこの博物館を順番にまわる。
1975年から1979年。
私の両親や祖父母が生きていた同じ時代に、カンボジアでは国民の3分の1の人間が亡くなりました。
ポルポト政権。罪のない知識人とその家族や親戚を全て殺した政権。
"ポルポト政権下に知識のある人間は不要。知識や技術を持つものは共産主義の邪魔になる"
と考えたポルポトは教師、医師、技術者、その家族。中にはただメガネをかけてるという理由だけでそれらの人間を惨殺。
無実の人間14,000~20,000人が収容されたこの収容所。現在は博物館になっています。
知識があるゆえにここで拷問を受け亡くなった人、他の場所に移されて殺された人が沢山。
行きてここを出られた人はたったの8人だけ。
拷問の苦しさに、3階から飛び降りて自殺する人やろうそくの火を自分につけて自殺する人までいたそう。
その後自殺をさせないためにこのように有刺鉄線を引いて拷問から逃げないようにした。
この博物館ではあまりにも生々しい写真と当時の光景が目に浮かび、何度も立ち止まり深呼吸をしなければ次にいけないほど悲惨な博物館でした。
足は長い鎖でつながれる。
暇で吊るし上げられ意識を失うと、糞尿が溜まった壺に顔を埋められる。
拷問中に叫び声を上げることも禁止され、もし叫んだらその場で殴られる、蹴られる。
その時に使われた拷問器具や、ここで亡くなった人たちの顔写真などが展示されていて最後の部屋には沢山の人骨が並べられている。
何度も胸が苦しくなって、それがたった40年前の出来事なんて思えなくてなんとも言えない気分になった。
私は今先生をしているから、もしこの時代でここに生まれていたら殺されていたかもしれない。"雑草を抜くなら根こそぎ"をモットーにしていたポルポト。復讐を防ぐために知識人の家族や親戚を皆殺しにしていた。
つまり私の家族や親戚も理由をつけて殺されていた。そう考えただけで胸が締め付けられる。
キリングフィールド編へ続く。